第44回全日本学童マクドナルド・トーナメント茨城大会の3位決定戦は、冒頭から点取り合戦の末、4回に再逆転した上辺見ファイターズが8対4で勝利し、8月の第47回関東学童大会出場権を手にした。敗れた那珂湊マーリンズ野球スポーツ少年団(以降、一部省略)は、2004年の創部以来初の県4強進出。全国区の強豪にも正面から立ち向かう姿が印象的だった。
(写真&文=大久保克哉)
※決勝戦リポートは近日中に掲載します
3位=関東学童大会へ上辺見ファイターズ(古河市)
4位
那珂湊マーリンズ野球スポーツ少年団
(ひたちなか市)
■3位決定戦
◇6月16日 ◇ノーブルホームスタジアム水戸
上辺見ファイターズ
031310=8
202000=4
那珂湊マーリンズ
【上】舘野、金子恭、大曾根-大曾根、田中
【那】長山、鈴木-宮崎、長山
全国大会と同じく、茨城大会は70mの特設フェンスありで実施されている
高校野球の夏の茨城大会決勝も行われるノーブルホームスタジアム水戸(=上写真)。1984年夏の甲子園、取手二高の全国制覇も見届けたというオールドファンには「水戸市民球場」のほうが、しっくりとくるかもしれない。
現在はLEDの電光掲示板や球速表示システムもある同スタジアムで、全日本学童予選の最終日を迎えるのは異例なようだ。例年の予選会場は、隣接する水戸市総合運動公園軟式野球場。県の盟主・茎崎ファイターズの関係者でも、メインスタジアムでの最終日は記憶にないという。
「今年はたまたま空いていたんです」と宮下護大会委員長。それでも例年通り、全国大会同様の70m特設フェンスを設置するあたりはプライドものぞく。1990年から19年間、茨城県は全日本学童大会の舞台となってきた。その予選から全国大会と同じ仕様を提供するのも当然と、いわんばかりの気もする。
予選大会で70mフェンスを設けている都道府県が、果たしていくつあるだろうか。筆者は今夏、関東の1都5県を取材したが、茨城大会以外で目にすることはなかった。
上辺見(上)は登録19人で、4人の6年生が前年からのレギュラー。那珂湊(下)は3年生3人を含めて登録25人。どちらもスタメンに4人の5年生がいた
さて、3位決定戦では、特設フェンスをダイレクトで超えるボームランは生まれなかった。唯一超えたのは、上辺見ファイターズの四番・大曾根生夢主将が最終回に放った、中越えのエンタイトル二塁打のみ。
それでも、両軍を合わせて外野に飛んだ打球は実に26本と、双方のスイング力が際立っていた。上辺見は2回から3回にかけて、何と打者9人が連続で打球を外野へ。一方の那珂湊マーリンズも、3回の攻撃で二番・渡司瑛太から五番・高久樹まで、4者連続で外野に打って一時同点とするなど、振り負けてはいなかった。
弱小を脱した初夏
那珂湊は2004年に創設。ユニフォームのデザインは、翌2005年に日本一となった千葉ロッテマリーンズのそれ(当時)とよく似ているが、名称は「マーリンズ」。筆者も指摘されるまで「マリーンズ」とすっかり勘違いしていた。
「練習では厳しく指導しているつもりですけど、試合ではどうしても萎縮してしまうので、のびのびとやってもらう」(那珂湊・三上監督)
チーム創設時から事務局として携わってきたという三上芳郎監督は「ウチは弱小チームですから」と、試合前から話していた。県大会のベスト4まで勝ち上がったのも今回が初めて。退職を機に新指揮官に就任したとき、選手は4人にまで減っていたという。
「今の中3の世代。その代から毎年少しずつ、レベルアップしてきている感じです」(同監督)
3位決定戦の相手、上辺見は前年準優勝。しかもその後、全国スポーツ少年団軟式野球交流大会(全国スポ少交流)に初出場しており、当時からレギュラーを張る選手が4人もいた。しかし、明らかな格上に対して、見事に先手を取ってみせた。
那珂湊は1回裏、渡司の先制三塁打(上)に続いて5年生の四番・八木が左翼線へ適時二塁打(下)
1回裏、那珂湊は先頭の鈴木悠斗(5年)が四球を選ぶと、続く渡司瑛太が左打席から右中間へ先制の三塁打。さらに四番の5年生・八木悠心の左翼線二塁打で2対0とリードした。
「昨日の敗戦(準決勝)のショックもあっただろうし、そんなに思い通りにはいかないものですよね。まして去年の秋は地区予選で負けて、県大会も出られていないチームでしたから」
試合後にこう語ったのは上辺見の板橋勲監督。指揮官に就任した2000年に全日本学童初出場など、全国区のベテラン監督は、先制されてもまったく慌てていなかった。そして選手たちも2回から、本来の力を見せ始めた。
上辺見は2回表、宇津木(上)、服部(中)、根岸(下)の二塁打などで3対2と逆転
2回表、五番・宇津木豊の左越え二塁打を皮切りに、六番から九番までの5年生4人がいずれも外野まで打球を飛ばした。六番の服部櫻士は左中間へ適時二塁打、七番・髙尾義経のテキサス安打もタイムリーとなって、2対2に。そして前年からレギュラーの一番・根岸輝向が左中間への二塁打で3対2と一気に逆転した。
那珂湊も粘る。2対4で迎えた3回裏、三番・長山葵主将の適時打と四番・八木の左犠飛で試合を振り出しに戻してみせた。
3回裏、那珂湊は長山主将の左適時打(上)と八木の左犠飛で4対4に(下)
だが、上辺見は4回から左腕の金子恭大が、6回は大曾根主将が好投。ともに長打や連打を許さず、無失点で切り抜けた。
逆に上辺見打線は火がついたまま。4回表に三番・舘野斗麻と四番・大曾根主将の連打で3点を勝ち越すと、5回には高田理仁が右二塁打から敵失でそのまま生還し、ダメを押した(=ページ最上部写真)。
上辺見は4回表、舘野(上)と大曾根主将(中)の連続タイムリーで7対4と勝ち越し、その裏から金子恭(下)が力投した
〇上辺見ファイターズ・板橋勲監督「新人戦の地区予選負けから、よくここまで6年生ががんばりましたね。昨日の準決勝で負けて、子どもたちには『3位なら関東大会がある。これも落としたら、夏休みがつまらなくなるよ』と。ウチは1日の半分は個々の課題練習ですが、好きなことだけではなくて苦手なところも集中して練習してほしい。そうすれば関東大会までにレベルももうちょっと上がると思います」(=写真下)
●那珂湊マーリンズ・三上芳郎監督「今日はちょっと緊張もあったのか…ウチは守り抜くのが信条なので、ミスが失点につながった部分はちょっと残念ではあります。まぁでも、この大会はタイブレークもあり、いろんな苦しい場面を子どもたちが乗り越えてがんばってきました。ホントにうれしく思いますし、感謝もしています」
―Pickup Hero❶―
母の手料理たらふくで気分も一新。「関東でも打ちまくりたい!」
たちの・とうま舘野斗麻
[上辺見6年/投手兼遊撃手]
昨夏は5年生ながら中堅や遊撃を守るレギュラーで、全国スポ少交流に出場。全日本学童の予選は準優勝している。その決勝で敗れた相手、茎崎ファイターズに今大会は前日の準決勝で返り討ちにされた。それも0対7と、ワンサイドに近い内容だった。
「すごく残念というかショックもありました。でも家に帰ってから、美味しいもの(母の手料理)をたくさん食べて、モチベーションを上げてきました」
全国出場の夢破れてから一夜が明け、上辺見ナインは本来の打撃を取り戻した。ヒット9本のうち、二塁打が実に6本。そのうち2本は舘野斗麻が放ったものだ。
どちらの打球も外野手の頭上を超えた。4回に放ったセンターオーバーは勝ち越し2点タイムリーに。塁上からベンチに向けて“キケポーズ”を決めて笑った(=下写真)。
「ホントは行った(サク越え)と思ったんですけど(笑)」
でも結局、その一本が決勝打となり、チームは8月の関東学童出場権を手に入れた。舘野は2四球もあって2打数2安打3打点。二盗を決めたほか、相手バッテリーのミスを突いて二塁から一気に生還する好走塁があれば、けん制に誘い出されてのタッチアウトも。
「今日はいっぱい打ててうれしかったです。関東学童では打ちまくりたいです。ホームランも? はい、たくさん!」
―Pickup Hero❷―
この試合はキミのため!? 抑揚に富んだ敗軍の主人公
はが・しゅんすけ芳賀俊介
[那珂湊6年/右翼手]
1試合6イニング。18個のアウトを奪う間に、いったい何本の打球がこの右翼手のところへ飛んだのだろうか。
暗記できるような数ではなかったので、改めてスコアブックを見直すと6本もあった。ダイレクトで捕れずにファウルとなった打球も、1本や2本ではなかったはず。
始まりは2回表、無死二塁のピンチでふらふらと浅めに上がったフライだった。前進してきた芳賀俊介は迷わずダイブも、わずかに届かずタイムリーに。しかし、その2人後の打者がきれいに弾き返した打球を完璧に処理し、ライトゴロを決めてみせる(二死=上写真)。さらに2人後の左打者が放った大飛球を、70mのネットフェンス手前でグラブに収めた。
それで3アウト。ベンチに戻る顔が自ずとほころんだ。仲間たちには歓喜のタッチで迎えられ、指揮官も右手で頭を撫でるようにして笑っていた(=下写真)。
「守備位置とかは、いつもコーチたちが教えてくれます。ライトゴロを決めたときはうれしかったけど、いつも通りにやっていただけです」
第2章は直後、2回裏の攻撃だった。一死無走者で打席に立った八番・芳賀は、3球目を左中間へ(=上写真)。悠々と二塁に達すると、腰に手を当てた。
ところが、相手投手が次の球を投じる前。一発けん制でまんまと刺されてしまう。ヘルメットを手に茫然として引き上げてくると、いたって平静の指揮官から何事かをしばらく口頭でレクチャーされていた(=下写真)。
「あの場面はアウトが少なかった(一死)から、リードは小さくして第2リードを大きく取ったほうがいい、と教えてもらいました」(芳賀)
2対3と逆転された直後、同点に追いつくチャンスを一瞬で失った。だが、三上芳郎監督はそんなことで、いちいち感情的にならないという。
「野球のミスは野球でしか取り返せませんので、芳賀には状況判断などを教えました。そこは、次につなげてもらえればいいので」(同監督)
そして第3章は3回表、無死走者なしから。芳賀は前方の難しいフライを飛び込んでキャッチした(=下写真上)。ところが、2人後の打者が放った正面のイージーなフライを、今度はポロリとしてしまう(=下写真下)。
それでも慌てずに、すぐに拾い直しての送球で打者走者に二進はさせなかった。そしてそれまでに何度か救われてきたマウンド上の背番号10、長山葵主将が後続を断ってみせた(=下写真)。
「思い出に残る大会になりました。みんなで助け合えたから、準決勝まで来られたと思います。ミスをしても気持ちを切り替えていけば、落ち込まないでプレーできると思います」(芳賀)
勝っていれば間違いなく、この3位決定戦のヒーローだった。いや、負けたけれど、やっぱり一番の主人公はこの背番号9だったかもしれない。
最後の打者となったのも芳賀だった。6回裏二死一、二塁から、打ち取られた形の小飛球を相手投手が落球するという、またもや“パプニング”(=下写真)。でも、拾ったボールを三塁に転送してオーバーランの走者がタッチアウトとなり、“芳賀劇場”にも幕が下りた。
卒団後も野球人生は続いていくのだろうが、何かとここまで目立つ試合が、また訪れるのだろうか。いや、あるだろう、ミスでいちいち塞ぎ込まずにプレーで取り戻すことをすでに学習し、自分のものとしている芳賀のことだから。